先人の知恵 : 四つ葉のくまさんの癒しのお花、時々お料理日記

四つ葉のくまさんの癒しのお花、時々お料理日記

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昭和レトロではお馴染みの風景


こんにちは(*ᴗ͈ˬᴗ͈)ꕤ*.゚
四つ葉のくまさんことよつくまです
本日もよろしくお願いいたします。


江戸時代には様々な方法で、

「涼」

を求めました。


風と蚊取り線香の香りに季節の移ろいを想う。
そんな「江戸の涼」についてのお話です。

本日は「縁側」について記載します。

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画像はイメージ フリー画像です
(日本の良き懐かしい風景)



家族や仲間が集う…良き昔の風景


日本家屋には多くの場合「縁側」と呼ばれる場所がありました。

部屋から庭へ直接繋がる場所であり、
今でも農家の古き良き風景には欠かせないものでもあります。

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画像はイメージ フリー画像です
(古民家の縁側)


昔の夏のイメージを映像化すると、
「縁側」に座ってスイカを食べるシーンなどが多く出てきます。

家族の憩いの場所であり、
ご近所付き合いの場でもあり…

まさに「縁」をつなぐ場所でありました。

蚊取り線香の煙がセットでもある情景です。

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画像はイメージ フリー画像です
(縁側と蚊取り線香の香りはセットで)


残念ながら、

・日本家屋の減少
・安全上の問題
・集合住宅の増加
・プライバシーの問題

様々な理由から減少傾向にある「縁側」ですが、

いつの頃から存在するのでしょうか?



「枕草子」にも登場する「縁側」


【縁側の起源】


最古の「縁側」は奈良時代といわれている。

平安貴族の家では床を板で作るのが一般的になり、
「縁側」の原型はここで確立された。

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画像はイメージ フリー画像です
(平安貴族のイメージ)


そもそも「縁側」をつくるには、
ある程度の庭などが必要になります。

土地も必要になる為、当然庶民よりも貴族が先ということになります。

有名な「枕草子」などにも「縁側」の記載があるそうです。



「縁側」ではなく「縁台」


「江戸時代において」


当時の江戸長屋には「縁側」などは存在しなかった。
その代わりに「縁台」と呼ばれる木製の長椅子が存在した。

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(縁台で涼む女性)


江戸長屋では当然庭などはありませんので、
庶民たちは涼しい夕刻になると、
「縁台」と呼ばれるいわゆる「長椅子」を家の前に出しそこで「涼」をとっていたようです。

近隣の方との会話も頻繁に行いました。
飲食をする機会も多かったことでしょう。

浮世絵にも「縁台」は多く登場し、その様が現在のイメージに繋がっています。

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画像はイメージ フリー画像です
(縁台の浮世絵イメージ)


庶民の自宅に「縁側」が作られるようになったのは、
大正時代に入った頃…ようやくという感じでした。

・春はお花を楽しみ
・夏にはスイカや花火を
・秋になれば干し柿をつるしたり
・お茶を飲み世間話に花を咲かす

コミュニケーションの場として、
広く浸透していきました。

「縁側」には外(庭)から部屋へ入る踏み台としての意味もありました。

玄関を通さずとも、
庭へスムーズに移動できるため洗濯物を干すのに便利であったのです。

農作業の出入り口としても重宝しました。



西洋建築に見る「縁側」


「縁側」というのは日本独自の文化といわれています。

しかし西洋建築でも類似するものが存在します。
それが「テラス」や「ウッドデッキ」と呼ばれるものです。

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画像はイメージ フリー画像です
(現代建築に見るウッドデッキ)


人が集まり一時を共に過ごす。
確かに同じです。

海外のそれは規模が大きく、
バーベキューなどを楽しむようです。

しかし、都市型の生活をする者は、
マンションに住み、できるだけ他人と関わらずに生きる生活を好みます。

それは日本でも同じです。



農耕民族であった日本人


現在は田舎の家でさえ「縁側」がない家も多いです。

上述の通り簡単に出入り出来る事は良いことだけではありません。
時代も昔のようにおおらかではありません。

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画像はイメージ フリー画像です
(縁側で涼む家族のイメージ)


日本人は本来は農耕民族です。
「縁側」で農作業の合間のお茶を飲み、
手拭いで顔を拭いて、また作業に戻っていきました。

そういった生活スタイルにマッチしていたのです。


様々な工夫を凝らして夏を乗り切っていたのでしょう。

・強い日差しをすだれで避ける
・庭の砂埃を打ち水で防ぎ涼しくする
・夕涼みに「縁側」でスイカを食べる
・夜には家族で花火を楽しむ
・風鈴の音色を楽しむ

etc…

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画像はイメージ フリー画像です
(スイカと蚊取り豚)


クーラーがなくとも、
家自体が風を通す仕組みになっていたので過ごしてこれたのでしょう。
(昨今の異常気象はもはや別物です)



アウトドアブームは原点回帰なのかも…


令和の世になり、

・昭和レトロ
・アウトドアブーム

などが話題になっています。

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画像はイメージ フリー画像です
(昭和レトロ風の部屋)


しかしよくよく考えてみると、

江戸時代の「縁台」は折りたたみアウトドア用の椅子とも言えます。

人との「縁」が遠くなりつつある現代。
「縁」をつなぐ「縁側」のような場所を求めているのかもしれません。

そう考えたら「原点回帰」の一つと見ることも出来ます。

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画像はイメージ フリー画像です
(縁側は四季を感じる場所でもある)


様々な工夫を凝らしていた「江戸時代」
一つ一つを見ていくと、何か「大切なもの」が見えてくるかもしれません。



よつくまがお届けいたしました˚*・.。 ꕤ




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滴る水の余韻を楽しむ…古来の音響装置


こんにちは(・◇・)ゞ
四つ葉のくまさんことよつくまです
本日もよろしくお願いいたします。


江戸時代には様々な方法で、

「涼」

を求めました。


音色は「涼感」と直結します。
そんな「江戸の涼」についてのお話です。

本日は「水琴窟」について記載します。

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画像はイメージ フリー画像です
(日本庭園と水の組み合わせ)



澄んだ水の余韻…波紋のごとく伝わる


澄んだ水の音色を奏でる「水琴窟」

「風鈴」同様に、
涼しげな音色はそれだけで温度を下げてくれるような、
清々しさがあります。

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画像はイメージ フリー画像です
(水琴窟の一例)



【水琴窟とは?】

水瓶に水が滴る余韻音を楽しむ音響装置。

地中に埋めた水瓶に、
柄杓で水をたらすとそのしずくが瓶内で反響。
心地よい音響をもたらす。

現在では庭園の他、自宅用の水琴窟も施工されている。

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画像はイメージ フリー画像です
(自宅に置ける水琴窟も…)



庭先の排水装置から産まれた?


【水琴窟の起源】


江戸時代中期。
茶人であり著名な作庭家で知られる「小堀遠州」が考案した、
蹲踞(つくばい)からの排水を処理する「洞水門」が起源という説がある。

但し詳細は不明とされている。

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画像はイメージ フリー画像です
(蹲居の一例 溢れた水は底の瓶へ落ちる)


茶室などに入る前に手を清める蹲居(つくばい)
そちらから溢れる水を地下に設置した水瓶に落とし、
音色までを楽しんだ「水琴窟」

非常に風流な仕掛けと言えます。

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画像はイメージ フリー画像です
(蹲居水琴窟の構成図)


「水琴窟」

という名称はその水の音色が、
「琴の音」に似ていることから来ていると言われています。



作庭の趣を高める傑作


「江戸時代において」


江戸中期頃の庭に「水琴窟」が存在したという記述がある。
作庭の傑作として日本庭園の趣を高める傑作と言われた。

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画像はイメージ フリー画像です
(現存する水琴窟の一例)


江戸の中期にはそれなりの数が作られたそうです。

国の名勝に指定されるようなお庭に設置されていたという「水琴窟」
庶民が自宅で楽しむよなものではなかったようです。

明治の世に入り、

「水琴窟」は拡がりを見せましたが、

その後は衰退をたどりました。


当時の「水琴窟」で現存しているものは数少ないようです。

昭和60年頃のテレビにて「水琴窟」が紹介され、
静かなブームに…。

その後変遷を経て現在に至っているようです。


これは完全に私見ですが、
各地の名所めぐりといえば神社や仏閣…そして庭園です。

そんな旅の中で「水琴窟」を楽しんでいたのかもしれません。

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画像はイメージ フリー画像です
(江戸時代の旅のイメージ)



一つとして同じものがない「水琴窟」の音色


「水琴窟」

は独特の製法でつくられます。

特徴としては、

「一つとして同じ音がない」

事があげられます。


どんな音なのか一つの例を聞いてみましょう。



動画はYou Tubeより
(東京都港区泉岳寺の水琴窟)


いかがでしょうか?
大変涼やかで…癒される音色です。


手水鉢の真下に洞窟を作り。
その中に水滴が落ちて底面に溜まった水に波紋が生まれます。
洞窟の壁面に反響した音は唯一無二のもの。

大変涼やかで趣のある音色として響くのです。




その音響設備は一流


一説によると一滴の水滴でおよそ1秒間の余韻が響く「水琴窟」

これは一流のコンサートホール並であると言われています。

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画像はイメージ フリー画像です
(音の反響は同等レベルとされている)


江戸時代に考案したとされる作庭師はとんでもない発想力です。

人間にとって心地よい音源の一つとされ、
一つ一つ音が違うのも特徴です。


「小堀遠州」という人物は、
江戸時代の大名であり茶人であった人物です。

徳川将軍家の茶道指南役としても活躍した人物なのだそうです。



日本庭園の静寂に響く竹の音色


日本庭園にはもう一つ水を使った庭の仕掛けがあります。

竹が「カコン!」
という音でおなじみの「ししおどし」です。

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画像はイメージ フリー画像です
(水の力で竹を打ち音を出します)


こちらは音響を楽しむというより、
実は農作物の被害を防ぐ鳥獣避けなのです。

ししは「獅子」ではなく「鹿」の事。
漢字で書くと「鹿威し」が正解です。


日本庭園では静寂も一つの音色と考えます。

沈黙から響き渡る「鹿威し」の音。
「水琴窟」同様に風流で日本を感じる事が出来るものです。


様々な騒音が多い現代では産まれ得ぬ発想ではないでしょうか?




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「納涼」と銘打ったのは後の世の話


こんにちは.。゚+.(・∀・)゚+.゚
四つ葉のくまさんことよつくまです
本日もよろしくお願いいたします。


江戸時代には様々な方法で、

「涼」

を求めました。


空に咲く一時の大輪。
そんな「江戸の涼」についてのお話です。

本日は「花火」について記載します。

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画像はイメージ フリー画像です
(基本的な色合いもまた良しです)



夏を彩る大輪の花


夏を彩る天空の大輪。

ここ数年はコロナの蔓延により、
中止となる場所が多い花火大会…。

開催されれば多くの人が足を運びます。
やむを得ぬ事情もあるでしょう。

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画像はイメージ フリー画像です
(今では多彩な色彩が咲き誇る)


真夏に同じ空を見上げて、
様々な思いを馳せる花火大会。

無事に開催されることを願うばかりです。


今では夏の風物詩としての側面が強い「花火」ですが、
当初は目的も違ったようです。

どのようなものであったのでしょうか?



儀式的側面が強かった「花火」


【花火大会の起源】


8代将軍の徳川吉宗が行った「水神祭」が起源とされている。

・慰霊
・疫病退散

を願い打ち上げた小規模の花火が走りとされている。

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画像はイメージ フリー画像です
(徳川吉宗とされる肖像イメージ)


時代劇でお馴染みの将軍であります。


もちろん目的が違いますので、
現在のように「納涼」という大会ではありませんでした。


おそらく最も有名な花火大会の一つ。

「隅田川花火大会」

のルーツとされています。

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画像はイメージ フリー画像です
(スカイツリーと同時に楽しめる)

※また気にせず花火を楽しみたいものです



江戸の歴史と「両国の川開き」


「江戸時代において」


「両国の川開き」

と言われる「納涼祭」が一大イベントで大変賑わった。
川には海からの冷たい風が入り大変涼しく過ごせた。

現代の「納涼」の言われとされる。

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画像はイメージ フリー画像です
(両国橋と見られるイメージ画)


こちらを理解するには、
まず江戸の歴史を知る必要があります。



【江戸初期の大火事】

江戸時代は火災との戦いでもありました。
初期の江戸は防衛のため、川に橋をかけずに渡し船だけでありました。

その頃、江戸で大火事が発生…。
この火事は10万人もの命を奪ったと言われています。
原因は橋がなく人々が逃げられなかったからという事です。

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画像はイメージ フリー画像です
(江戸は大火も多かった)


この出来事がきっかけとなり両国に両国橋がかけられました。

この橋は海からの風がよく入り、
江戸時代の「納涼スポット」としてたいそう庶民に人気が出ました。

そのお祭りが「両国の川開き」です。



「鎮魂」の願いを込めて


天候に大きく左右される当時の情勢。

・大飢饉
・疫病の流行

により多くの命が失われました。

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画像はイメージ フリー画像です
(現在の両国橋付近)


「花火」の本来の目的は…
上述した通り

・慰霊
・疫病退散

でありました。

国(幕府)主導のもと、
庶民へのアピールでもあったことでしょう。

人気スポットであった両国橋に「花火」が上がったのです。

現代と同じく、
当時の方々は色々な想いで花火を見たのでしょう。

これ以降両国の「納涼祭」では、
花火を打ち上げる「両国の川開き」が開催され人気を博したそうです。



「玉屋」と「鍵屋」


「花火」で有名な掛け声があります。

「たまや~」
「かぎや~」

これは何のことを指しているのでしょうか?

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画像はイメージ フリー画像です
(今なお残る伝統)


こちらは「両国川開き」で活躍した花火師の名前です。

有名な「玉屋」と「鍵屋」の事を指しているのです。


両国橋を挟んで、

上流を「玉屋」
下流を「鍵屋」 

がそれぞれ担当し技術を競い合いました。

残念ながら「玉屋」は火事で廃業してしまいました。
「鍵屋」現在も活躍しています。

掛け声にその活躍を偲ぶことが出来ます。



今も続く伝統


戦後「両国川開き」は、

「隅田川花火大会」と名前を変えて今なお開催されています。

花火師が腕を競う大会として有名で、
毎年多くの花火師たちが一年を費やした技術を披露します。

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画像はイメージ フリー画像です
(コロナの収束を願って)


コロナの蔓延を疫病とするならば、
ぜひ退散させてもらいたいものですが…

人が集まってしまうのもまた事実。
難しい問題です。


桜などもそうですが、

「パッと咲いて…散る」

日本人特有の「美学」がそこにはあります。


「花火」の意味を知った上で、
空に咲く大輪の花を見上げてみれば…

また違った形で鑑賞出来るやもしれません。




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